さよならニッポン
また一つ、家がなくなった。
ライブハウスでのライブを敢行した後には、それなりの代償があった。
まず横浜で身を寄せさせてもらっていた家に行けなくなった。そこには、会社で働いている人がいるので、万が一ジャイが感染したとなると、自宅での経過観察を促される。お世話になりまくっているのと、彼らの生活を脅かす訳にはいかないため、ライブ当日に家を出ることにした(無論、ライブを行うことは反対されていた)。
これが本当の自粛と言いたい。
別れの季節である。
地元新潟で友人と仕事を作るために帰省するも、実家にいる母親からはボロカスにこき下ろされた。俺は悪魔の子か、と思った。ウィルスよりも人のほうがよっぽど怖い。
この感じ、原発事故の時と似ている。放射能による被曝をしないために自主的に避難するも、頭おかしいんじゃない扱いされる人の気持ちがわかる(今回は完全にこちらの分が悪いが)。
医療関係者であったり、高齢者と接触する機会が多いのは分かるが、それにしてもである。まあ、日頃の行いによるものだろう。最後に仏壇に線香上げ、手を合わせられて良かった。どれだけ蔑まれたとしても、憎しみに支配されず、大きな愛で浄化していこう。
玄関の脇に咲いていた沈丁花の匂いを吸い込んで、今生の別れを告げた。
これぞ本当の自粛と言いたい。
行き場は減っていく。
「東京は封鎖されるかもしれないから、また会えるまで元気でね」みたいな連絡をもらった。これから行くのはいいが、閉じ込められるのは嫌だなと思った。単純に、手持ちのマネーも底をついているので、都会でのサバイブは困難を極めるだろう。というか、不安に心を喰い潰されていく人のアトモスフィアが切ない。ドラッグストアの長蛇の列を見ると、ライブで熱唱した歌詞がリフレインされてくる。
「死なないように、死なないように、死なないように、生きても死ぬんだよなあ」
マスクも家庭用品も全て分け合えば余るはずなのに、お店の人は頭を下げ続けている。
これからは高熱を出してもコロナだと診断されると周りに迷惑をかけてしまうからと、そのまま死んでいこうとする人が増えるだろう(ジャイも一瞬そうなる気がした)。
自粛も突き詰めると死ぬなあ。
どうせなら笑って逝こう。
疎外感が凄かったので、久しぶりに狸寝入りした。もう知るか、としっかり横になって寝る。早朝、気持ち良く目覚める。体調はすこぶる良好。東の山から朝陽が美しい輝きを放っていた。あの太陽の周りに、本当のコロナがあるんだよなあと思った。烈しく、美しくいこう。
本物を感じたら、元気がモリモリ湧いてきた。もういっちょやってやろうじゃねえか。ジャイの心にはふざけんなという火が点いている。直感的に、このままだと“ゾンビ大国日本”は目に見えて腐敗していく。間違いなく、身体よりも心が先に死ぬ。自粛しまくって、塞ぎ込んで死ぬ。ジャイはゴーストバスターなので、自他共に爆発させていく必要がある。その昔、「ボンバーマン」というゲームがあったのだが、稀に無敵になって自分を爆発させながら縦横無尽に動きまくることができた(無論、無敵状態が消えると死ぬ)。
花は桜木、男はジャイ。
男の散り様を見せてやる。
ということで、最後の希望、佐渡ヶ島に行くことにした。
はじめての自粛流刑である。気持ちは完全に水滸伝で、俺もいよいよ湖寨に寄るのかとしみじみ思う。佐渡ヶ島は歴史的に一番重い極刑の地であり、隠岐の島とか、奄美大島とかよりも全然重い。冬は寒いし、今みたいに交通網も発達していないからラピュタみたいな森だけだっただろうし、当然ロボット兵も人もいない。最初は寂しさに押し潰されたはずだ。
ところがどっこい。
世阿弥とか芸能に秀でた者たちが流されてきた頃から様子は変わってきた。
実は、佐渡は新潟であって新潟ではない。言葉の訛り方も、京都っぽい感じがやっぱりある。「〜だっちゃ!」とか、ラムちゃんか佐渡人からしか聴いたことがない(ちなみに『うる星やつら』の作者は新潟出身である)。
薪能や、人形浄瑠璃、鬼太鼓、もうどうせここで死ぬならと、めちゃくちゃやっていたと思う。めっちゃ踊って、めっちゃ叫んでいたと思う。ちなみに、世阿弥は70歳とかまで良い感じに生き延びて、最後は京都に帰れたらしい。だから、全国の三分の一の能舞台が佐渡にある。
そんな感じで「うひょー!!」って騒いでたら、ある日、誰かが「あれ、これなんか光ってね?」と金やら銀を見つけて、ゴールドラッシュがはじまっちゃった。
潤う潤うってことで、江戸幕府もどデカイ船とか寄せちゃって、極刑の島がバブっちゃった。
ラッシュタイムも終わって、時代の流れもあってか、人はどんどん減っていった。
高度経済成長も昭和から平成のバブルも何もなく、ただただ人は減っていった。
そしたら、何が残った?
どデカイ自然が残った。田んぼで農薬とか使ってたら、綺麗な朱鷺とかいなくなっちゃったから、これあんまり使うのやめようってことで、島全体で除草剤も全然使わなくなった。
ばあちゃんたちも超元気で、食べるためというより、昔の子どもが大勢いた時のノリもあって、日々のルーティンで畑とかに行くから、農作物とかが半端なく余っている(茄子とか大体落っこちてる)。
山が綺麗だから、海に流れてくるミネラルとかも半端なくて、海産物もめちゃくちゃ美味い。故に、海も綺麗だから思い切り遊べる。
人によっては何にもないという佐渡ヶ島。
ジャイにとっては全部ある自粛ヶ島。
みんなそろそろ気づいていると思うけど、震災やらコロナショックで仕事ができなくなりまくっていて、在宅ワークやら何やらにシフトチェンジせざるを得なくなっている。
つまり、ライフスタイルの見直しが嫌でもされている。この点に関しては、ジャイは流れがきてるなって思っている。
働けなくなったり、外出できないってなったら、貨幣価値は崩壊して、みんな諭吉さんとか焚き火するための種火に使いはじめる。ジャイの足りない脳みそでもこのくらいはイメージできる。
こうなってくると、一次産業は最強だ。
いま漁業とか農業、林業とかやってる人、このままいけば革命起こると思う。
自分たちで食糧を作れることの安心感よ(ちなみにジャイは何となくしかできない)。
佐渡は田んぼも畑も余ってるから、お金もかからずゆっくりやれるし、何よりも空気が美味いから浄化レベルが半端じゃない。
難しく考えちゃあいけない。なんとなく種を蒔いても、芋くらいは育てられる。戦時中もみんな芋食ってた。だから芋食ってたら死なないから大丈夫。
あとは、世阿弥の再来。
俺たち人間は、踊り狂って、歌い狂う悦びを得られる生き物だ。
これから佐渡に行ったら、ブックオフでアンプを買って(佐渡でもお店あるねんで)、広い庭で搔き鳴らしたいと思う。ご近所?緑の林さんたちには囲まれています。小鳥さんがたまにきます。
みんなやりたいこととかなくて暇だったら、佐渡で遊ぼうぜと言いたい。
ジャイが感染してなければ、ほぼ島は大丈夫だし、というか、感染してても空気がいいから余裕で治る感じがする。海とかで泳げば清まるでしょう。
最後の砦。
感染防止のために船とか止まったら、いよいよ俺も世阿むのかなあと思う(そうなると世阿弥Tシャツは欲しい)。そしたら【Gi feat.ZEAMI】とか言って、世阿弥を憑依させたMVを出したいと思う。
社会の底辺を這いつくばっていたような人間が起こす一揆。
令和の百姓一揆を見せたろかい。
保科 亮太
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